鹿児島には、実にいろいろなラーメン屋さんがある。
先日、久しぶりに外でラーメンを食べる機会があった。昔ながらの豚骨ラーメンにしようかとも思ったが、なぜかその日は塩ラーメンに惹かれ、天津飯とのセットを注文した。
写真に写っているのはラーメンだけである。
なぜなら、写真を撮る前に天津飯を食べてしまったからである。
ブロガーとしては失格かもしれないが、それだけ先に箸が進んでしまったということである。
久しぶりに食べた塩ラーメンは、ほどよい塩味が効いており美味しかった。天津飯も卵がふわふわで、こちらもなかなかである。
普段は自炊が多く、どちらかといえばガツンとした食事をすることは少ない。そのため、たまに食べるラーメンと天津飯のセットが妙に満足感のある昼食となった。
そして、もう一つ気になったものがある。
ラーメンのお椀である。
正面には大きく「愛情一番」と書いてある。しかも店員さんは、その文字がお客さんからきちんと見えるようにお椀を置いてくれる。
偶然ではなく、どうやらそこまで含めて一杯のラーメンなのであろう。
なかなかのこだわりである。
この店には昼食時に行ったのだが、とにかく回転が早い。食べ終わった人が出ていくと、また次のお客さんが入ってくる。家族連れも多く、店内は次々と人が入れ替わっていた。
見ているだけでも「繁盛しているな」と感じる店であった。
そこで少し考えた。
現在の鹿児島市内には、中華料理の中でも、いわゆる大衆向けの店、気軽に入れる町中華のような店が以前より少なくなったように思える。何年か前には、私が知っていた店も一店舗閉店した。
高級中華ではなく、リーズナブルで、しっかり美味しく、お腹いっぱい食べられる。そして家族や人数の多いグループでも気軽に入れる。
そんな店を求めている人は、意外に多いのではないだろうか。
ラーメンを食べに来ただけなのに、いつの間にか店の経営について考えてしまっていた。
しかし、これは飲食店に限った話ではない。
その時代、その地域、その場所で「こんなものがあったらいいな」と思われているものを提供することができれば、そこには自然と人が集まってくるのであろう。
美味しいことはもちろん大切である。
リーズナブルであることも大切である。
そして「愛情一番」と書かれたお椀を、きちんと正面に向けて出すような小さなこだわりも大切なのであろう。
商売とは、案外そういう小さなところの積み重ねなのかもしれない。
天津飯の写真を撮り忘れたことだけが、今回の反省点である。


